徒然なるままに

2007

'07,1 '07,2 '07,3 '07,4 '07,5 '07,6 '07,7 '07,8 '07,9

 

2006

'06,1 '06,2 '06,3 '06,4 '06,5 '06,6 '06,7 '06,8 '06,9 '06,10 '06,11 '06,12

 

2005

'05,1 '05,2 '05,3 '05,4 '05,5 '05,6 '05,7 '05,8 '05,9 '05,10 '05,11 '05,12

 

2004

'04,1 '04,2 '04,3 '04,4 '04,5 '04,6 '04,7 '04,8 '04,9 '04,10 '04,11 '04,12

 

2003

'03,1 '03,2 '03,3 '03,4 '03,5 '03,6 '03,7 '03,8 '03,9 '03,10 '03,11 '03,12

 

2002

'02,1 '02,2 '02,3 '02,4 '02,5 '02,6 '02,7 '02,8 '02,9 '02,10 '02,11 '02,12

 

2001

'01,1 '01,2 '01,3 '01,4 '01,5 '01,6 '01,7 '01,8 '01,9 '01,10 '01,11 '01,12

 

2000

 

 

 

'00,4 '00,5 '00,6 '00,7 '00,8 '00,9 '00,10 '00,11 '00,12

'07/ 9/ 30   ん十年ぶりに寝込んでしまった。

 バイクで庵から帰ってくる時に路端の温度計は17,8度を表示していて汗で着替えしたTシャツ1枚の上にジャケットだけではさすがに寒く、家に帰ってからも寒気が中々取れなかった。
次の日からは、トレーナーでも持っていこうと思いながら、夕食が済んでも寒気が取れず、寒気と言うより悪寒と節々が痛むというような関節痛もしてきた。「エッ!?風邪・・・」なんとなく晩酌も進まない。とにかく早く寝てしまおう。と8時過ぎには布団にもぐりこんだ。

 それから結局丸2日寝込んでしまった。すぐ良くなるだろうと思った症状は、1日経っても悪寒は続いて体温計は38度6分から39度近くまで行ったり来たり。手元にあった風邪薬は何時のものだったか2日目から飲んだが、古いのか対症療法にしても体温も下がらず3日目でようやく結構な量の汗をかいて熱は引いてきた。

 さて、風邪なら何時ひいたものか?ついこの間まで30度を越える気温が急速に下がって来ていることもあるかもしれないし、先週乾き切れずにヌカッた田んぼで稲刈りを続けたせいか?コンディションが良ければ丸1日で済む所、3日もかかってしまった。仕事量は3倍掛かったわけでなくて排水し様子を見ながら乾かない田んぼに足を取られながら稲刈り機がスタックするのと格闘し結局、延べ3日掛かってしまったワケだ。
 そんなわけで3日目などは2,3時間だけなのだが、稲刈りと言うよりは田植えもどき・・・というような泥田だったので2,30分毎に休憩をしないと続かない異様な疲労感ではあった。

 まぁびっしょり汗をかいて風に吹かれるとか、思っているより体力の低下もあったのか季節の変わり目の風邪と言う事かもしれない。・・・とも思ったが丸2日も寝込んだ。というのもここ2,30年、記憶に無い。風邪としても、これだけ急に具合が悪くなるのも!?・・・という様な原因としては帰り道のバイクもセカセカした稲刈りも直接的な原因としてはイマイチ。ひょっとしたら風邪ではなくて例えば「ツツガムシ」みたいな事も怖いし・・・ということで 症状のピークは越えたのだけれど、これも2,30年かかった事のない千厩病院で診察、検査を受け帰ってきた。

   いよいよ秋も深まって来た。

 先週、稲刈りした時の気温は30℃と34℃まで上がった。そんな残暑も刈り終わったとたんにあれだけ暑かった気温は10℃も下がり雰囲気は一気に秋。
 風邪騒動が治まり、しばらくぶりに見た作業途中の開墾地は前週の台風崩れの雨で土砂の流出は結構なもの。遊水地に広がった光景を見た印象からはここの被害レベルは大したことは無いのだが、寄せた土砂の土留めはしっかりしておかないと、元の荒れた山に戻るのも早い。
 伐採した材の太めなヤツと杭で基本的な土留め工事をしておく事にした。杭も丸太もやがては朽ちるわけだが土落ち着く前に腐ってはどうしようもないので、杭は焼いて防腐処理。伐採した木の枝焼却と一緒に処理出来て都合がいい。
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 新総理の反応はやはり福田氏らしい
「・・・まずは真相究明でしょう・」だった。旧ビルマでの長井健司氏殺害事件

 諸国の反応とは違う日本らしさ。「慎重に事態を見極めて・・・」(なんの?諸国の反応を?軍備供与を続ける中国の?)27日のデモに対する軍の武力鎮圧に巻き込まれ、極至近距離からほぼ水平射撃で殺害された(紛争地域専門契約記者の)長井健司氏のその瞬間の映像が流れたのは事件からそれほど遅くは無かった。
 それでも事件から2日後の29日丁度国連出席中の高村外相がはっきりした非難演説をしたことは、日本にしては素早いレスポンスではあったかもしれない。

 「ミャンマー」との国名変更もようやく耳に馴染み始めたけれど、まだ「ビルマ」の方が自分は位置関係を認識し易い国。僧侶が多いのはこの周辺国では多いが、そういった僧は普通、政治とは距離を置き極めてストイックな生き方であるようだ。日本の仏教関連の生業者と比較するのもおかしいが、お布施、寄付と彼らの托鉢とは違うよなぁ。
 TVの画像では塊りとしては区分けできるが、ほぼ一般人と一緒のデモ行動の如く描写されているが、事の発端は明確に違うようだ。そこを日本のメディアは正確に報道しない。

以下、ビルマ情報ネットワークから転載。

僧侶の抗議活動 ビルマ軍事政権は、1988年の民主化運動の後、国内に民主主義を実現するという約束を反故にし、軍事独裁政治を続けています。軍政と、僧侶や学生、ビルマ国民との争いは絶えることはありません。  法を無視する独裁政権により、今のビルマは、政治的に不安定で、内戦を抱え、経済発展が遅滞し、生活水準は低く、医療や保健、教育は劣悪な状況に陥っています。
 3百万人を超える人々が隣国に逃れざるをえない状況が存在しています。
 民主主義を求めて声を上げた人々の多くが投獄されています。
 こうした抑圧的な状況下で、ビルマ国内の学生と国民の間で、軍政に反対する動きが2007年8月第1週から始まっています。
 それまで教学に励んでいた多くの僧侶たちが、人々の苦しい生活を理解し、支持を表明して、抗議行動に参加しています。
 ビルマ全土には約40万の僧侶がいます。したがって僧侶の運動は全国に波及しています。
 2007年9月5日、ビルマ中部のパコック市内で僧侶たちが平和的な行進を行っていたときのことです。デモを解散させようとしたビルマ国軍は、投げ縄を使って僧侶たちを捕まえ、街灯に縛りつけて殴りつけ、逮捕連行し、強制的に還俗させました。8人の僧侶が未だに釈放されていません。
 政府によるこうした非道な行いに対して僧侶は謝罪を求めました。また同時に、逮捕された僧侶をすべて釈放すること、物価高騰への対策を講じること、対話によって政治問題を解決することも求め、回答期限を9月17日としました。
 軍事政権の独裁的な指導者たちはこの要求に応じることも歩み寄ることもなかったため、ビルマ全土の僧侶は9月18日に、教えに基づく覆鉢(鉢伏せ行、パッタムニックッジャナカンマ)を行いました。そして全国の街頭を行進して、抗議の意志を示しています。
------------------以上転載
 前月8月15日に施行されたガソリンは6割UP。ガスは5倍。バス運賃はいきなり10倍もの値上げに抗議した反体制GPが主導したラングーンのデモとは同一活動ではない抗議行進だったようだ。

 それらが混沌となって来たのは、これもTVニュース画面で詳しい説明無しに流されていたが現在もラングーンで軟禁されている「民主化ヒロイン」の「アウン・サン・スー・チー」さんが「覆鉢」行動の途中4000人という集団化した僧侶の一部200名がその「アウン・サン・スー・チー」さんが軟禁中の自宅前で読経を始めた所、スー・チーさんが姿を現した。と言う事だ。民衆の前に姿を現したのは4年ぶりとかになるそうで、反政府行動に出た僧もかつてない出来事だったなかで更に民主化ヒロイン。それをシンボルとする反体制GPとの共闘状態が出来上がった。
 これまで、ヒロインは1988年に始まった民主化運動のシンボルであり、ある面ではそのヒロインを軟禁−解除とコントロールする事で反体制勢力の活動もまた制御してきた現軍事政府である。今回もこのヒロインには何らかの操作を加え反体制GPへの揺さぶりをかけるはずだが、まったく新しく共闘しはじめた僧。それに焦って銃を向けた現体制。どちらが正しいのかは誰にでもわかるのだが政治の世界はそうも行かないようで・・・

 ただ、今回長井健司氏が倒れた瞬間の映像も4年以上も表に見えなかったスー・チーさんが出てきた瞬間を捉えた映像も、You Tubeを介したミャンマー国内からの発信という。
 真実を訴え続ける声はまだある。大手報道も駐在記者を引揚げ、真実が正確に伝わらない(それでなくても偏向が多いこともあるが)そういった状態が見えている目を持っているが故の長井健司の現場主義だったのだろう。どうしてもそんなジャーナリストは現場で命を落とし易い。
 長井氏のご冥福をお祈りしたい。報いるのは今だ民主化のヒロインが体制維持に利用されているような状態とこの国で今発している声を聞き流さぬ事だろう。    


'07/ 9/ 23   台風第11号(ナーリーNari:「韓国:百合」)

 10号は日本列島の東方1000km辺りで更に北東に逸れて行った。今週頭の11号は韓国に上陸後日本海、壱岐の島北側500km位で熱帯低気圧にスケールダウン。
 となったわけだが、先々週の列島縦断台風9号にも増した被害が県内、一関地区にはあった。幸い我が家の裏山の崩れた場所はJRの暫定処置もあり影響はなかった。
というより当地でははっきりした台風の風雨はそれほど感じられず象徴的な被害は3区画ある遊水地全てが増水した泥水であふれた北上川流域だった。磐井川流域は降水量がそれほど無かったが高まった北上川の水位が逆流した。元々が磐井川の増水ではないだけに岸辺近くでは底が透けて見える状態なので、北上川の濁流に比べあまり切実感は無かった。

 ただその後のTVニュース解説では、昭和22年、23年のカスリン、アイオン台風に次ぐ増水だったとの事。 庵通いの道すがら北上川と磐井川の合流域が見えるものだから、その周辺の遊水地も回ってみた。回ってみながら少し気になったのは遊水地のような大規模治水工事を実行するときは、当然ながら過去実績も含め1/100年確率とかの想定で規模を決めたわけだし、バッファーになる遊水地への流入は10年に1度レベルの洪水規模を想定との事だ。この辺りの所は地方振興局やら県、市のH.Pに概要として詳しく記載されているが、先のちっと気になると言うのは昨今の温暖化、異常気象などを考えると従来の気象モデルを前提にした流量(m3/s)とか100年率でとか60年率でとかの確率想定は「本当に大丈夫なの!?!?」みたいな思いにとらわれる。

 数十年来、川釣りもしているけれど、川の増水具合は自分世代が鼻を垂らしてヤスを手にしてハヤなんかを追いかけていた頃とは違って来ているような気がするのだ。小さな河川まで護岸工事も進んで土手が崩れるような事は少なくなったはずなのだが、戦後の針葉樹への植林、広域林道開発とか里山、中山間耕地の荒廃とか、圧倒的に森林の多い岩手県とはいえその保水力も下がり出水は早くその量も多くなっている。それに件の温暖化だ。今回の遊水地への洪水にしても直接的な台風被害の様相はなくて秋雨前線を刺激した花巻、北上周辺以北の上中流域への集中的な降水によるものだ。気象観測技術も土木技術も昭和22年とかに比較すれば随分進歩したはずなのだが安心して制御されている状態には及ばない。

 かといって、こうした方がいい。こうあるべきなどとエラソウな事を言えないのが寂しいのだが、ヒトが生きやすい様に自然をイジッて、その自然のPowerに時に思い知らされる。なんともマッチポンプ的で、イタチごっこ的な対応にはどこかで折り合いを付けないといけないはずだが・・・

 季節は芋の子会

 去年の「芋の子汁」と「焼き芋の子」は家から持ってきた里芋だったが、イヨイヨ今年は木楽庵産の里芋を使えるようになった。
 コロンとした塊りは土の中にあるものだから、期待感だけを頼りに掘り起こしたら、一口サイズから箸で1回割って丁度いいかという位。まぁ、欲をいえばあと1週間欲しいか、追肥をもう少しやれば良かったか?。  大勢でわいわいとする位の大鍋とか調理器具は無いので、ダッチオーブンで「芋の子汁」。焚き火では「焼き芋の子」を!する想定だったが、準備開始当初からビールの栓が開いたもので想定メニューも「焼き芋の子」は食べ損ね、焼肉メニューではないのだが締めの1品の焼きソバまでは辿り着かないでしまった。

 芋煮鍋は山形発祥なのか?ネットで見ると大体がそういう書き方だけれど、当地岩手県南でも物心が付いた時からあったような気がするがなぁ。
 ただ、この鍋もそれぞれの家で味付けなり具材のバリエーションがあるようで、味噌味/醤油味。肉は鶏/豚。ごぼうは入れる/入れない。トカトカ。まぁ細い事を言い出せばきりが無いわけで、いづれビール片手に友人たちと与太は飛ばさずとも尽きない話題で盛り上がり楽しければ、味もそれなりに。。。   
 


'07/ 9/ 16   安倍首相・辞任

 党首会談を断られたとか、局面の打開は自分よりも新首相の方が、とか、シドニーでブッシュに苛められたとか、真相は本人しか分らない。体調不調は本人が言った訳ではないがこれも大きな要素か?だとしたら乗り物酔いの様な症状かなぁ?御輿という乗り物の!?!?。
ま、担ぎ手の自民党が悪いねこれは。登らせた梯子を外す!と言うのも良くある事だが。
 神輿担ぎも肩は痛くなったり、力も余って暴れ神輿になったりするものだから担がれる方もそれを御して乗りこなせるだけの身体能力がないとね・・・細川総理もそうだったけれど、担がれただけではその間に成長出来なければ持たないんだよなぁ。背景も違うのだけれど、「エッ・・・」という部分ではすぐ思い出す位、似た感じを持ったのは自分だけかな。
 「恥じ」を重んずるクニのリーダーにしては再チャレも尽き、美しくない終り方だったなぁ。
ただ彼が「ぼっちゃん」「とか何もしない内に」とか言われても最初のはそうだろうが在任中の立法事案はこれからの影響が大きい、おそらく本人はそれすら見届けて責任を果たす事は無いのだろうが、防衛省、教育基本法、憲法改正国民投票、自衛隊の主任務に海外派遣を加えた事等々、強行採決であれガチャガチャと成立させたこれら法律の行方は目を離せない。

 これも直接選挙制度ではないだけに有権者は唖然としながら眺めるしかないわけだし、彼が首班指名を受けて以降の国政選挙は参院入替え選しかなかったので、その結果をどう見たか!?諌めるとか適切な助言をする本当のブレーンがいなかったのか!?
 ニュルニュルした言い方が好きではないのだけれど、辞任報道当日、(担いだ)自民党の責任。と言っていたのは石波議員だけだったなぁ。 小泉元総理の後ではそれまでの野党以外ではどの人がやっても大変な事は確かだったろうがKY(空気読めない)と揶揄されるというか同情される様では・・・そもそもクニのリーダーは空気を読んで(小泉氏はそうだったが)動くのではなくて空気を動かす力量が本来の期待する資質のはず。昭和の時代なら勤まったかもしれないが残念ながら生まれた時代が遅すぎたし小泉氏の尻は拭いきれなかったと言う事か。
これを書いている時点では福田康夫氏が派閥調整を上手く行えたからか圧倒的優位ということらしいが前任者と親子程の歳の差が気になる。これもせっかくの新しい世代の活躍の場を活かせなかった高齢化国家の揺り戻し症状と言う事か。

    須川温泉Short Touring

 そんなニュースが駆け巡った日は半日グズグズした天気。昼過ぎから上がった曇り空に幸いと、実の入りが早かった蕎麦を刈りあげた。
 翌日は快晴。何時まで持つかわからない天気を儲けたような気分で、今シーズン初の須川に向った。今年は須川にご無沙汰だったなぁと思っていたのもあるがこの間の鳥海山、猿倉温泉Touringの余韻がまだ残っていたのかもしれない。

 真湯から上る須川ルートが一関からは一番近く晴れていれば平日でもバイクツーリストに出会わない日は無い。 この日は90ccのカブと原チャリの2人組み。ハーレーの2台組がそれぞれのペースで登り、須川温泉で秋晴れの日を過ごしていた。

 今時期は赤とんぼが群れているかと思ったが、まだ早そうだった。湿原には夏の花が少し残っていた。

  H-UA F13「かぐや」【SELENE】打ち上げ成功

 当初8月16日の打ち上げ計画が子衛星のコンデンサが極性を間違えて取り付けられていたとかで、約1ヶ月伸ばした9月13日の天候不調で更に予定を1日伸ばし9月14日10時31分01秒種子島宇宙センターから打ち上げ。満身創痍であと3年掛けて地球まで戻そうかと言う「ハヤブサ」に比べ「月探査」と云う時間、距離的にも比較的分り易そうなテーマなので注目は高くなりそう。ただこれにつながる計画がはっきりしないのが残念だけれど予定通り月を周回して快調な便りを発信して欲しいところ。
※追記:航空宇宙分野のノンフィクション作家、松浦晋也氏の評論【日経BP】が分り易い。
 


'07/ 9/ 08   台風第9号 (フィートウFitow:「ミクロネシア:花の名前」)

 6日木曜の晩0時過ぎに伊豆半島をかすめ神奈川から上陸したこの台風は気象庁の台風情報予測進路通り神奈川−東京−埼玉−栃木-福島−山形−秋田−青森−北海道と列島北半分を縦断した。
 ここ数年、当地には台風直撃、或いは暴風雨に曝されるといった状態には幸い入っておらず。毎年被害を受ける九州、四国とか家の造り自体が初めからの台風対応構造の沖縄のような台風に対する備えから比べれば遥かに疎くなりがちな東北地方なのだか、鳥島辺りで西進から北進に進路を変わる辺りから、それまでの秋風にうって変わって湿ったいやな暑さがこれから到来する嵐を感じさせていた。

 春先の季節風にも耐えた太陽光発電のパネルタワーなのだけれど、やはり相手が台風となると風の方向も刻々と変わるし、暴風域に入っている間は25m/secという風圧に耐えないと吹き飛ばされてしまう。冬から春先の須川下ろしも強い風なのだけれど、その強さはXX m/secなんて定量的な値も把握していないので、ハタシテこのパネルタワーの対風圧がどれだけ持つのかは皆目わからない。  風対策としては、小さな風力発電機の出力をモニターして太陽光パネルの傾きを水平にして風圧を逃がすファーリング動作を仕込んでいたが、春先の強風に耐えた事から電気エネルギーを余分に食う動作はOFFしてしまっている。でもやっぱりちょっと心配なので今回の様に予め台風被害が想定される時はパネルを紐で3方向から縛り付けている。
 原始的ではあるのだけれど適正に動作するか(!?)なファーリングよりは安心感がある。
・・・というのもちょっと情けないが。。。

 当地に最接近したと思われる7日の午後14〜15時ごろは距離的には暴風圏の端あたりに当っていたはずだが、奥羽山脈で遮られたせいか朝方から午前中の激しい風雨はそれが台風の影響のピークだったようだ。我が家でも家の裏の崖が崩れ10年生程の桃の木が根っ子からひっくり返った。
崩れた面積は5mx5m位と2mx2m程の2箇所。表層部分で厚さ50cmとするとざっと15立米程度だろうが、これを一輪車などで片付けるのは大変。

 2mx2m程の小規模な方がJRの境杭部分な様で、JRに連絡を取った所、保線業務の人が夜に崩れた場所の確認に訪れた。翌日庵の状況を見に山に行って帰って来て見たら既に裏山半分程を覆って大業なブルーシートが張られていた。
 ここは元々大雨には弱い山肌だったので先月末からブロック100個程を使い法面の下側をオヤジとコツコツ補強工事をしていた。崩れた量がこれほどで済んだのはDIY作業ながらこの補強工事が効いたものだろう。ある面では間一髪だったかもしれない。木楽庵周辺の作業でも土方仕事は汗ばっかり消耗するような普段はその恩恵が感じられないけれど、イザという時に機能していてくれれば。。。そういった「土木」という役割のシブサがなんとなく格好いい。
 前線位置、気圧配置とか気象条件との関連が被害を増長させるのだろうが、かつての
【カスリーン台風】【アイオン台風】 の台風経路に比べてコースだけを見るとこれだけ列島北半分の中央を縦断した割には今回の被害程度は幸いだったかもしれない。

 

'07/ 9/ 02   秋雨Touringとなるか。。。。

 ここ、ん十年では1番と思われる「連続猛暑日」も旧盆が過ぎたら、やはり東北の夏らしくグッと涼しい。でもちょっと涼しすぎか、もう「秋雨」といわれる前線が降りてきた。
日中は猛暑でも朝晩は都市のなんとも不快な暑さではないので、7,8月の庵行は大体が250ccの単車AX−1で通っているのだが、その軽快さに馴染むと中々大型バイクには縁遠くなる。FJRは7月初旬の雫石国見温泉Touring以来、ご無沙汰となっている。
 暑さも峠を越したようだし林道工事も飽きてきたしソロソロ、バイクでちょいと出かけてみようかと思っていた丁度そんな折「ソロソロ秋風も。。。」とTouringの誘いTEL。
 打ち合わせと暑気払いを兼ねたビールと与太話の末、行き先は「猿倉温泉」行程は300Km位か。秋雨前線は東北と関東の境辺りにあり低気圧を呼び込んでいる。南北に走るよりあまり南下しないで東西方向がいいかも!という事で鳥海山まで走る事に!小雨結構、決行とベテラン揃いのメンバーながら俺は雨はやだなぁ。。。
 ま、行って来たら恒例「ハバキ脱ぎ」の後で画像はUPしよう。※⇒UPしました。

山仕事も秋雨で滞りぎみ。
 それほど強くない雨ならユンボでの根っ子掘りとかはさほど支障がないのだが、キカイを移動させるのはヌカルミが出来てそれをこね回すようなものなので、やっぱり雨が降ったら林道作業は中止!。野菜作りは手を掛けた分だけ旨くなるそうだが、ここしばらく放っておいた為、野菜か草か判らなくなっているウネもある。林道作業が出来ないので時には畑の草取りでも。

 トマトはミニトマトが先行していたが、普通のトマトもどうやら食べられるレベルに。。。なんとなく収穫楽しみなのは「里芋」と「落花生」どちらもしの成果は土の中なので、どの程度に出来ているのかはまったく見えない。それだけに期待をそそる。

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 増田寛也氏が総務大臣!?。。。時にセイジ系放言も。
 元、岩手知事と言う事で地元民としてはお祝いを言うべきなのだろうけれど「ネタ」としてというような起用さが感じられてあまり歓迎すべきものとは思われない。

 民間登用。小沢一郎氏への牽制。地方格差不満へのBufa。が目的なのか増田氏がそれらを捌ければそれでいいのかもしれないが、閣僚人事はその為政者の勢いとか政治手法を見る点としてはとてもわかりやすい。
 元々官僚出身の増田氏自身、宮崎県知事や東京都知事のようなカリスマ性で対処する人ではないし行政能力自体、任期後半には県債残高も1兆4千億にまで高まり、岩手競馬問題にドタバタしてからは「何だこのヒトは!?」と思うようになってしまった。胴元が儲からない賭博場経営なんてものはナンなんだ!?。どうせなら全国初のPachinko TAXでも徴収し補填でもすれば借金だけではなくて名も残せたろうに。
 地方行政特命担当大臣とか地方格差とか近年増大した歪みもひっくるめてミッションとして預ける。という手法は結局、時の閣僚で唯一靖国参拝をしたことぐらいしか実績が分からん高市大臣見たいな初入閣でタイトルだけ一杯預ける起用方法が安陪人事なのか!?人事の妙も芸も感じられない。これで地方の不満が解消!?。。。期待はしたいのだけれど。





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