徒然なるままに

2007

'07,1 '07,2 '07,3 '07,4 '07,5 '07,6 '07,7 '07,8

 

2006

'06,1 '06,2 '06,3 '06,4 '06,5 '06,6 '06,7 '06,8 '06,9 '06,10 '06,11 '06,12

 

2005

'05,1 '05,2 '05,3 '05,4 '05,5 '05,6 '05,7 '05,8 '05,9 '05,10 '05,11 '05,12

 

2004

'04,1 '04,2 '04,3 '04,4 '04,5 '04,6 '04,7 '04,8 '04,9 '04,10 '04,11 '04,12

 

2003

'03,1 '03,2 '03,3 '03,4 '03,5 '03,6 '03,7 '03,8 '03,9 '03,10 '03,11 '03,12

 

2002

'02,1 '02,2 '02,3 '02,4 '02,5 '02,6 '02,7 '02,8 '02,9 '02,10 '02,11 '02,12

 

2001

'01,1 '01,2 '01,3 '01,4 '01,5 '01,6 '01,7 '01,8 '01,9 '01,10 '01,11 '01,12

 

2000

 

 

 

'00,4 '00,5 '00,6 '00,7 '00,8 '00,9 '00,10 '00,11 '00,12



'07/ 8/ 25   トウモロコシは「マミ」に食われた。

 独りで昼飯をとる場合は食べ残しなんかは出ないのだが、たまたま何人かでBBQなんかをした時などはビールで腹が膨れ残飯が出ることがある。そんな日に畑の畝の端に肥料になるだろうと穴を掘って埋めたのだが翌日見てみると埋めた残飯は掘り起こされ中に埋めたモノは全て、鶏の骨まできれいにたいらげられていた。
 初めは「カラス」か「狸」か「前に見た徘徊する猫」かハタマタ「熊」でなないだろうなぁ!?
とかとか疑ったが、それが※「マミ」の仕業だった事は何回かそんな事が繰返している内に友人の話やらWikiの裏づけで確信した。「マミ」と判ってからのそれからは後の事はあまり考えずに(単純に便利だったのだ)残飯が出たときなどは埋めずに彼(又は彼女!?)が掘り起こした穴に放り込んでおくと、自動的に処理されるのだからお手軽な事この上ない。。。と

 「そろそろ明日採るべぇ・・・と思うとその晩やられるんだよなぁ」とは旬のマスターの説明だった。そんな笑い話のような事が今週、起こってしまったのだ。
開墾畑で思いのほか土壌が痩せているのかバランスが悪いのか20種ほど植えた野菜の中でよく育ったものもあればダメなものもあり、トウモロコシは実は付いたが実入りは良くなかった様だった。茎もあんまり太くならなくて雌花の房が出ているのは1本に1箇所づつ位しかない。(まぁどうせ歯ッ欠けだろうし、そんなのは「マミ」も狙わんダロウ、もし来て食っても1個か2個か。)程度に考えていたが、結果全滅。ことごとく食い散らかして行った。 それもこれも 餌付けして安心を与えてしまったようなもので、しかし便利な残飯処理機といったキカイではなかったわけだ。

※「マミ」:Wikipedia
「マミは旨いんだってよ」とも聞いていたが、Wikiには
【アナグマの毛皮は衣料として用いられる他、その毛は筆や刷毛として用いられている。肉は大変美味であるといい、味噌で煮込んだ鍋料理は「ムジナ汁」「タヌキ汁」などの名で知られる。】
と書かれている。

 かつて40年も前には「鶏をツブス」とか「ウサギをツブス」とか で、特にウサギなんぞはまるで毛皮を脱いだ赤ん坊みたいだなぁ。。とか鶏は卵になってゆく過程の卵とかが腹の中の一杯あってとか 、正月にお袋の実家でだれぞが行った「解体ショー」をナニゲに 見ていました。
 特に田舎ではウサギとか鶏とか雉とか猟期の冬場とか 正月にはご馳走だったんだろうなぁ。。しかも自家調理でもしないと中々入手出来なかったろうし。
 現代はイトモ容易くスーパーに行けば、工場から来た ようなきれいにパッキングされた肉類が大体どんな種類でも手に入ります。 特に自分で屠殺やら解体などは日常ではまったく必要はありません。 ただ、去年から山暮らしを始めて熊の足跡を見た時から、 ひょっとして熊と格闘なんかして、仕留めてしまったら。。。なんて 殆ど可能性の無い事なんかを夢想するにつれ、山暮らしを標榜する者としてのタシナミとしてそういったワザも 出来ないとだめなのかなぁ。。。とか

 狩猟民族系のヒトビトは自家製腸詰を保存食として普通に作っているし、遠来者歓待に家畜をツブシテ調理!というのもまだまだあるし。はたまたこの岩手の銘肉「前沢牛」なんて、きれいにフカフカとオガクズを敷き詰めた畜舎でビールを飲ませゆったりした音楽なんかも聞かせながら頬擦りするように可愛がって育てた牛を、旨い旨いと食ってしまうのだからハァ〜。
ただハタシテ偶発的にでもその「マミ」の美味さを確認出来る時はあるのか・・・



'07/ 8/ 18   林道造成半分!?送り盆の花火。

 3週間でアバウト3m幅の林道約150mを掘り起した。春先に伐った林道予定地を根を掘り傾斜を修正しながらユンボで掘り進める。伐り開いたスペースはあと300u程だが、きりの良いところで退避スペースやら、斜度の調整などもしないといけない。
出来れば沿道に何かの木とかも植えたいがそれは徐々にやっていこうと思う。


 去年辺りから頻度が高くなった小中学校時代の同級生の飲み会で、
「今年の薄衣の花火に合わせてBBQと花火見物を薄衣在住のM氏宅でやろう!」
とほぼ宴も終盤、殆ど酩酊状態での酔っ払いの発案だったが、イキオイで「全員一致の可決」。尚且つM氏はこの時の飲み会には欠席だった。酔っ払いに良くある次回の呑み会ネタ。と出席者の半分はそう思っていたはずなのだが、なんとこの議案を正確に覚えていたメンバーがいて、とうとう「薄衣花火BBQ大会」は実現の運びとなった。
 毎年送り盆の日に行われる「ちっちゃな村の(今は市となりこうは言わないが)おっきな花火大会」は県南地域では水中花火やら、2尺玉やら、ローカルながら結構見ごたえがあって定着したイベントになっている。

 大工のM氏手作りの径1mを越す丸い鉄板とそれを取り囲むようなドーナツ状のべンチ。
今日作ったんだと言いながら、格好のいいオリジナルBBQセットはM氏宅の庭先に設置されていた。17時前に始めたBBQと飲み放題の生ビールは花火開始の19時まで丁度いい加減の酔い心地となり、足をふらつかせながら北上川の堤防、打ち上げ場所の対岸真正面にひいたブルーシートの上で更に缶ビール片手に一発毎の歓声へ。
 中学校を卒業してもはや40年になろうとしている、普段顔を突合せていれば大して違和感もないのだが年代的には孫のいる同級生も珍しくない。付き合いが薄ければ町ですれ違っても互いにオジサン(お爺さん!?)オバサン(お婆さん!?)風貌。同級生だった事すら分からない場合もある。40年それぞれの社会に向き合ってそれぞれの表情に形作られた顔が夜空に開く1発の花火で急に中学生か小学生の顔に戻っていた。
かつて知っていたニコニコ顔に戻ってしまえば真夏の童心定番イベントとなるか!?



'07/ 8/ 12   「アヂ〜」と毎日ぼやく週。

   「猛暑日」と天気予報で言うもんだから尚更暑く感じるのかも。。。毎年こんなに暑かったろうか!?と、気象庁のData Baseで一関のデータを調べてみた。
 1976年から30年間分は気温、降雪、風速、気圧と一覧表形式で見る事が出来る。気になった「気温」だけを追いかけてみると「猛暑日」の35度を越える日があった年は30年間で12回ある。38℃を越えた日がある年もあるなんと体温より高かったんだなぁ。でもやっぱり猛暑日というのは毎年あるわけではなさそうだ。只、猛暑日は'76年から'86年までは無くて、最近増えてきている。線形近似を引いてみると、あの地球環境云々の話題に良く出てくる右上がりのラインとなり、最高気温も平均気温は30年で1.5度は上がっている。ま、今までこの真夏にユンボを一日中動かす事なんていう事はなかったわけだから、背中やら足元から回ってくる温風と「猛暑日」の中で飲む水もペットボトル3本ペースは続いている。

 まぁ、暑い暑いとはいってもこの岩手県の事だから。。。日本の南端沖縄辺りではこんな猛暑日なんかは慣れっこで。。。と思って同じように那覇のDataを見て一関と比べてみると、同じように30年間で猛暑日は2年ほどしか記録されていない。「レレッ!?」という感じで、やがては木楽庵の畑でパパイヤでも。。。という事にはならない。沖縄では年間最低と最高の気温差が20度程しかなく、緯度が低くても回りは海なわけだから暑いと言うよりは温暖という事なんだなぁ。岩手のそれは40度を越す差となり、いくら最高気温が高くてもパパイヤはやっぱり無理らしい。
 そうだよなぁ沖縄の雪なんては聞いたことがないし。。。なんてしょうも無い事を眺めつつも暑い日が続いている。 小学生の夏休みの宿題みたいなものだけれど実際住んでいる地域の気象Dataを実際にプロットしてみると、かの「地球温暖化」も実感する事に。
 う〜んポンコツユンボで穴でも掘って地中に篭るか。

 昭和20年の夏も暑い夏だったとか。毎年、この時期、終戦記念日に合わせ特集番組をTV局は構成する。何でも今年NHKは50を越す関連番組を組むとか、再放送焼き直し版もあるが新たな資料に基づくものも有りそうだ。極力見てみよう。
 

'07/ 8/ 4   自民大敗、米国で慰安婦決議、台風5号、地デジサービス開始、GS140円。

   選挙の強さに定評の小沢一郎党首の本領か、票を投じた方もあんまり後味が良かったわけではないだろうが、主権在民の仕組みでは民意の反映が形に表れることはとても重要。ただメディアが繰り出す煽りで左右されたくはないが。。。
常套の雲隠れとか豪腕とかそれもどちらかと言えば東北人らしい口の重さから来る虚像と思う。ま自分がその地盤の岩手県人からの贔屓目かもしれないが、彼が27歳での国政初出馬時「現代の社会は各種多様化した欲望が生まれ、政治がこれに応え切れず、政治不信が拡大し混乱が起きている。
 このままでは日本の行く末は暗たんたるものだ。先ず、官僚政治を打破し、政策決定を政治家の手に取り戻さなくてはならない。政治は新しい考えを入れ、浄化と刷新を行う」
との内容が政治公約だった。時は昭和44年12月の総選挙で、父佐重吉氏急逝として立候補した時。と言う事だ、おりしも大阪万博直前の高度成長期で行け行けドンドンの時そんな政治公約に実感はなく、30年後の今になって、実感を伴いそのまま残っているテーマだ。
 現在の民主党党首になった時に自ら「変わる」と言った事を時の小泉純一郎氏に「60になったら人は変われない」」とオチョクられたりもしたが、かの初心の意思は変わっていない事と思うし変わったのは、より強くなったその目的への方法論だろう。
 元々目的のためには手段を選ばず的に、主義主張も抑えた議員数の拡大だけ目指したような結党、解党を繰返した印象が強く壊し屋のあだ名はネガティブでも勲章か。ただ自分の世代は目の上にすぐ団塊の世代を見て、彼ら世代には以降の世代では薄くなった遮二無二、前に進む逞しさは強く、それに反発心も持つが、いじめられたり叱られたりもしたが指導され時には酒を奢られたりもよくした、反発の対象には丁度いい懐具合を持つ、憧れめいたものも感じてしまう。小沢氏を見ているとそんな世代の典型に見える。

 選挙への影響を考慮したとかいう30日の米国の慰安婦決議については、それこそ政府見解通り他国内の議会の事だから過剰反応は。。。というのが正解だろうが不条理感は否めない。それにしても同日「日米同盟の重要性確認の決議案」とはこれだから政治というのは。。。
J−CASTニュースが国内全国紙の各誌社説をダイジェストで紹介している。
 現在も尚、誤解を招き易い「「従軍」慰安婦」という造語まで作りだしキャンペーンを図った朝日新聞の反応がやはり突出している。早速北朝鮮は「東南アジア諸国連合(ASEAN)地域フォーラム(ARF)」で【慰安婦問題を閣僚会議の議長声明に盛り込むよう強く迫った】とか。 007の世界は現実離れした過去らしいが中朝の情報戦で暗躍するエージェントはかつての米露を越える人海戦術規模で且つタチが悪い。
 日本の大手新聞メディアは今回の下院議会可決(といいながら、何でも出席者10名しかいない口頭での賛否で決めるとかいう「エッ!?」と思うような可決システムだったらしいが。。)をもってようやく控えめながらそれぞれの主張を述べたようだが、これも最後のイタチっ屁みたいなもので、なら初めからはっきり言え!と言いたい所。それに比べ独特な報道で注目を集める
「アルジャジーラ」はすでに下院委員会でマイク・ホンダ氏が大活躍し進行している時点で
“The U.S. wants to create trouble between Japan, China and Korea”
「米国は、日本と中国、韓国の間にトラブルを起こしたいのか」

という表題でこの問題を扱っていた。

民族的感情は日、中、朝らモンゴリアンとも欧米支配層のアングロサクソンとも違う感性と思われるがむしろ記事に書かれている内容は極めてニュートラルなものだと思う!
 既にハニートラップに絡め獲られた30歳も年下の中国人妻を持つメディア王ルパート・マードックが最近買い取ったウォールストリートジャーナルやらニューヨーク・ポスト紙、FOXテレビも持っている事実。米国メディアの公平性はあてにならなくなっている。
 米国新国務副長官ネグロポンテ氏がタダ燃料補給の「テロ特措法」延長を要求したらしいが、ここは小沢一郎主張の「延長はなしヨ」で参院での否決を見たい。既に下院採決前に放っていた駐米加藤大使の「日米関係への有害な影響」というジャブを最大限生かすことだ。

 九州に大きな被害をもたらした4号に続き5号も宮崎側から上陸。房総半島沖からそのまま東方向へ逸れ東北には台風らしい影響は殆どなかった4号だったが、5号は一旦日本海に抜け、秋田沖を北上、津軽海峡を通り北海道に抜けそう。まだ温帯低気圧にも下がってはいなくて風雨は強い。前日にはパイプ車庫とブルーシート構成の木楽庵の外回りも紐+針金で補強!ソーラーパネルも針金で位置を固定しておいた。
 北上するにつれて気流で東側へ流され速度を上げて千島列島方向へ向い収束する一連のパターン。その速度が上がってくる辺りから台風の中心はセンターから左寄りになる。というより暴風雨域が南東側に広がると言う事なのかもしれないが、要は台風の進路が北を通るか南を通るかで、通過して行く離れ具合が同じでも風雨の受け具合は随分違う。今回は北側の日本海を北上しているので暴風域を南東側に広げた領域に入ってしまうようだ。雨も風も強くなるだろう。
 風雨には強くないだろうと思っていたシート屋根と高床式構造だったが、一年経過した段階では、冬から春先の強風も難なく耐え、軒先に置いたバケツが吹き飛ばされた位で他に影響を受けた事は特になかった。地形が若干すり鉢状的な窪地に近いせいかも知れない。
※今回の台風5号は「ウサギ」という名前とか、この命名システムは自分は知らなかったが日本周辺にやってくる台風は、なんでもアジア14カ国で構成されている「台風委員会」で既に各国10個づつの名前を登録していて計140種類の名前を順に使いまわしするのだとか!知っていましたか?自分は気象庁のサイトを見て知りました「へぇ!?」と思っただけですが。。。順番から言えば次の6号はラオスが命名した「パブーク」(大きな淡水魚)という事になるらしい。
 大して足の早くならないウサギ台風も今頃はそろそろ津軽海峡に差し掛かる頃か!?

 岩手県内の地上デジタル放送のサービスは既に一昨年12月から盛岡NHK局では開始されている。首都圏始め県庁所在地の局は放送されているが、一関はこの8月からという事で、実際は7月24日から試験放送中とか。
 自宅は難視聴地域なので、町内の「TV組合」組織で共聴アンテナを立てケーブルで分配している。施設した業者が去年説明会を開いたようだ。共聴TVアンテナ組合の寄合から帰ってきて「でずたるテレビってなんだ?」と80歳になるオヤジに尋ねられたことがある。
 自宅周辺の町内会はさしずめ老人クラブそのもので年金頼りのライフスタイルが多い。技術の進歩とはいえオクニの都合で今までのテレビでは見れなくなりますよ。というのはやはり不条理と言うものだろう。総務省は\5000円位のレジーバーをメーカーに作れとか支払いが困難な世帯には何らかの対応も!と。それでもお年寄りはクニが金を出せと言えば応じるだろうが。。。
 そんな事があってからアンテナが立っていたはずの小高い山の上を眺めてみたら、アンテナが見えない。どうやら周囲の木々の成長に飲み込まれてしまっていたようだ。「でずたる対応」以前にアンテナ周囲の刈り払いと視界を遮る雑木の伐採が先だなぁ。
 試験放送が始まったと言う事だが元々UHFは自宅では直接受信出来ていないので、木楽庵でワンセグ対応の携帯でSCANさせてみた。場所と姿勢によっては画像が止まる場合があるが弱めの電界域でもさすが「でずたる!」映っている画像はクリアーだ。
 これでラヂオに加え情報&福利厚生道具が一つ増えた。

 うわ〜、今週8月に入って何時も入れているGSのガソリンが会員価格でも\140/Lになってしまった。イヨイヨ木炭自動車の時代か。。。でも煙で環境どうたれと非難されるだろうしなぁ。




トップに戻る