徒然なるままに

2014

'14,1 '14,2 '14,3 '14,4 '14,5 '14,6

2013

'13,1 '13,2 '13,3 '13,4 '13,5 '13,6 '13,7 '13,8 '13,9 '13,10 '13,11 '13,12
2012 12,1 '12,2 '12,3 '12,4 '12,5 '12,6 '12,7 '12,8 '12,9 '12,10 '12,11 '12,12
2011 '11,1 '11,2 '11,3 '11,4 '11,5 '11,6 '11,7 '11,8 '11,9 '11,10 '11,11 '11,12
            
'14/ 6/ 28  まだまだ、梅雨の最中

 今年東北北部の入梅は6月6日という事だった。前日の東北南部の入梅ニュースに続いて翌日の天気予報ではそう流れた。
 平年より1週間ほど早く、なんと梅雨明けは平年より大分遅れる見込みとも。原因は南半球の「エルニーニョ」・・・と先月から今月にかけてはどこのTV局の天気予報でもそういう話だったが、ここのところトンとエルニーニョの言葉は出てこない。

気象庁HPより
 左がその問題となる南太平洋の海水温の値と今後の予測域なのだそうな。
 気象庁では月一度の発表。6月10日の「監視速報」とやらでは。

【・太平洋赤道域の状況はエルニーニョ現象もラニーニャ現象も発生していない平常の状態を示しているが、エルニーニョ現象の発生に近づいた。

・夏には5年ぶりにエルニーニョ現象が発生し、秋にかけて続く可能性が高い。】


 という事だそうな。次回発表は来月10日。マスコミはというわけじゃないけれどTVでは何かあるとワッと騒ぐものの、その後はすぐに口にしなくなる。作物を扱う身からすれば結構心配事なんですがねぇ。

 週一でもいいから「さてあの件は・・・」とでも言ってくれればいいものを。
さてさて来月の監視速報とやらはいかがな結果に。上のグラフの黄色ゾーンにあるものなのか!?


'14/ 6/ 21  ツーリング以外での、日本海まで・・・

 2番目の叔父の危篤連絡があったのは月曜日の朝、ナビが示す最短距離は水沢〜東成瀬を経て横手から由利本荘の病院まで158km。
長兄になる親父を乗せて、3時間強で昼前に着いたものの今際の際には間に合わなかった。

 既に連れ帰った仁賀保の自宅に回りその後の日取りと段取りを確認したあと、とりあえず帰宅。

 中1日空けて葬儀には水沢ICから秋田道横手に降りR107を抜けて日本海東北道の一区間本庄IC〜仁賀保ICに降りたら2時間半弱で着いた。

 臨終の時は我が家を出発してまもなくの時間だったそうだから、3,40分短縮されるこのルートを使っても最後を看取るには至らなかったのだが、最善のルート選択ではなかった事が少し引っかかりを残した。

 仁賀保ICから1km程の自宅の近くにあるお寺で葬儀、初めて耳にする法華宗の読経。女性住職の声色のせいではないだろうが、耳になじみのある曹洞宗のお経とは違うわけで鐘と木魚、拍子木に絡み合い変化するリズムとあいまって、目を瞑っているとこれがマントラに世界なのかと思ってしまう。

 お墓は海の見える丘。海の手前には喪主の倅が勤める会社の社屋が見える。
 あまり行き来の少ない叔父ではあったが、我が家に来たときには丁度その倅が就職した時。自営でたぶん厳しい仕事を続けた教訓か倅が選択したのか大手企業への就職を自慢げに喜んでいる様子が伺えたものだった。

 誰しも振り返ってみれば波乱万丈な時と思える時間があるのだろうが、事業の失敗、再起を経て晩年になり自慢の倅家族と同居した時間が一番穏やかな時間だったのかもしれない。
 長く住み慣れた新潟の土地から秋田、仁賀保に移ってもすぐ近くに見える日本海と倅の勤め先を見渡せる墓地に収まり、先に逝った連れ合いと今頃は落ち着いた世界に入ったということかも。


'14/ 6/ 15  梅雨は、入ったばかり

 やっぱり義理堅いんだろうな

 自分はまったく知らなかったが、つい今週末に
「セルビア洪水被害に広がる震災“恩返し”・・・」
という記事で知ったもの。

なんでも先月5月12日からバルカン半島では100年に1度レベルの集中豪雨に見舞われたそうな。

さかのぼって見た5月20日付けのロイター通信では
【[MAGLAJ(ボスニア)/KRUPANJ(セルビア) 19日 ロイター] - バルカン半島を襲った豪雨の被害が拡大し、ボスニア政府は19日、同国の被災者が100万人以上に上ると発表した。豪雨は過去120年間で最悪とされている。

2014,5/20:ロイター通信

 ボスニアのラグムジヤ外相は、住宅10万戸以上が居住不可能な状態になったほか、100万人超が清潔な水を得られていないと述べた。

 セルビアでも深刻な被害が確認されており、ブチッチ首相は被害総額が数億万ユーロに達するとの見方を示した。ニコリッチ大統領は他国に支援を要請した。

 セルビアでは一部で状況が改善する中、川の増水などにより、同国最大のニコラ・テスラ発電所周辺を含む地域で被害拡大が懸念されている。

 今回の豪雨は120年前の観測開始以来、最悪となり、数百もの地滑りなどを引き起こした。死者数は40人以上に達した。】

と伝えている。

きっかけは6月13日の産経ニュース
【セルビア洪水被害に広がる震災“恩返し”
 駐日大使「これほどのサポート、驚き」】

2014.6.13 14:23産経ニュース
【 100年に1度の大洪水被害に見舞われた欧州南東部のセルビア。東日本大震災直後、同国から多額の寄付金が寄せられていたという逸話がネットで広まり、在京大使館に続々と寄せられる日本からの“恩返し”に、ネナド・グリシッチ駐日大使(56)は「これほどの日本からのサポートに驚いている」と感謝を示している。

 「日本人として、人として、受けた恩は返したい」
 東京都品川区のセルビア大使館。ネットで同国からの「恩義」を知ったという東村山市の警備員、青柳大樹さん(41)は持参した寄付金を手に力を込めた。

 大使館によると、洪水発生から1カ月近くが経過したが、若い世代を中心に毎日約50人が直接寄付に訪れるという。現金書留、口座振込での寄付も多く、添えられたメッセージには、震災直後の支援に感謝する言葉が圧倒的に多い。

 グリシッチ大使は対日感情が良い理由に、「セルビア人は日本の勤勉さや技術力を高く評価していて日本が大好き。武道をやる人が多く、作家の村上春樹さんも大人気」と、日本製品や文化の浸透を挙げる。

 また、当時の国民の気持ちを「セルビア人は熱情的なため、震災の状況を見てショックを受けた。それだけに貧しくてもできるだけ支援しようとまで思ったのだろう」と代弁した。

 セルビアは約130年前の旧王国時代に新国王就任を伝える国書を明治天皇と取り交わすなど、歴史的にもつながりがある。グリシッチ大使は「困ったときに手を差し伸べ合える関係でいたい」と話している。】


う〜んやっぱり日本人は「義理堅い」というか「お互い様」意識が定着してるからか
同じく同日産経ニュース「IZA」の別記事では

【 ◆マスコミに“飛び火”

・・・ 洪水の報道を受け、国内ですぐに支援に乗り出したのが、サッカーJ1・名古屋グランパスだ。ストイコビッチ前監督の故郷であることから、サポーター有志がこれまで3回にわたり募金を呼びかけた。

 洪水の情報はフェイスブックなどを通じ、ネット上に次々と拡散。ヤフーではこれまでに約5万人が計約7500万円を寄付し、セルビア大使館に寄せられる募金も今月に入って大幅に増えた。週末の売り上げ全額を寄付したカクテルバーや、Tシャツを作って売り上げを寄付するプロジェクトも始動するなど、支援の動きは着実に広がっている。

 中略・・・・・その一方で、「セルビアの大洪水を報道しない日本のマスコミどうなのよ?」(ツイッター)などと関心はメディア業界に“飛び火”した。

 とりわけ多いのが、韓国の旅客船沈没事故が連日大きく扱われたのに対し、セルビアの洪水は続報が少なかったことへの批判で、「日本のマスコミにとって世界は『特定アジア』(中国、韓国、北朝鮮)で構成されている」(匿名掲示板)という書き込みも。「STAP細胞とかAKB48の話題よりも、こういうことを取り上げてよ、マスコミ」(同)といった声も目立った。

 マスコミも洪水のニュースを伝えてはいるが、ネットがなければここまで支援の輪が広がらなかったことは確かだ。誹謗(ひぼう)中傷や炎上などが話題にされがちなネットだが、人々の善意や「借りた恩は返す」という義理人情を広める「武器」にもなり得ることを、セルビア支援の動きは改めて示したと言えるだろう。(本)

【用語解説】セルビア洪水
 5月12〜14日、セルビア中西部の集中豪雨が原因で発生。全人口の4分の1が暮らす地域と、農地の大部分が水没した。外務省の中・東欧課によると、約3万2千人が避難し、少なくとも34人の死亡が確認。セルビアにはロマ民族など戸籍がない人々も多数いるため、被害の実数はさらに大きいとみられる。隣接したボスニア・ヘルツェゴビナやクロアチアも大きな被害を受けた。】



'14/ 6/ 8  能登Touring其の弐。なぎさドライブウェイ。 其の壱はこっち高岡〜千里浜

 「疲れたら、旅に出るんだよ」
いやぁ、なんともカッコつけたような、それでもなんとなく(そうかもね・・・)と思わせるように話したのは、とある近場のログビルダー。

 彼がこの木楽庵にやってきた時に乗ってたのは多分、車齢30は過ぎたHONDAのXL250Sかな!彼はそのバイクで、そこらここら「旅」をしてきたようで、フレームとかマフラーとか表に見える部分は殆ど錆び錆び状態。
 なにせウィンカーも点かなくなって手信号で走っているというのですから・・・手信号なんて40年以上前にとった運転免許では「左折は左手を水平に」「右折は左手を直角に立てて!」なんて確かにあったけれど、今時そんな事をしたら若いドライバーなんて「!?!?!」なんてクラクションを鳴らされるかもしれない。

 まぁ、そういう彼曰くの「疲れたら・・・」なんて意識は無かったのですが、どうも2011年の3.11以降ロングツーリングへの意欲は湧かなかったのですかねぇ。2010年に北海道に渡った時以来、1000kmを越すようなツーリングには遠ざかっていました。
 それでも「義援金・支援金Touring」と称したバイク仲間で毎月バイクツーリングはしてたわけなんですが、どうも3年もそういうショートツーリングを重ねても、グループツーリングと言う事もあるかも知れないが「旅」感覚にはちょっと遠い。

 今回、10年程前に行った事はあるものの、少し端折って回りすぎた感のある能登を目指した。なんせ岐阜に住んでいたときだったので一泊二日の能登行で、そのTouringの後に感じたのはもう少し時間が欲しかったなぁ・・・てなTouringだった。

 そうそう今回はかの知人曰くの「疲れたら旅を・・・」ではなくて「旅をしたら疲れて帰って」きましたね。(苦笑
 疲れた挙句、自宅到着10数km前で立ちゴケまでしてしまう始末で。ツーリング帰路では長距離で痛くなってきた左肩こりがいまだ、回復出来ずにいるわけで。

 それでも身体の疲れた感覚のワリには、気分的にはどこか爽快感が残っている。リフレッシュするには短期間でも趣味に没頭して他の事は考えない時間の中で過ごすのも良いのかもね。


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